【負けるな】〇〇を見返してやる方法【いじめ】
今回議題にするのは、「振り向く」とか「二度見する」の方の見返すではなく、
○○に対して「やり返してやる」という意味合いの「見返す」という議題になります。
アニメや漫画の登場人物のセリフで「見返してやる!」という言葉がありますよね。
実際、現実社会でも「絶対に見返してやりたい」という気持ちを持っていたor今でも持っているという方がいらっしゃると思います。
今回は、そんな方々に「どうしたら見返すことができるのか」方法をいくつか挙げてみたいと思います。
進行は、「○○を見返す方法」「見返した後の成長」の、二つのセクションでお届けしたいと思います。
○○を見返す方法
結果で示す
正直に言います。○○を見返す方法は、「結果で示す」しかありません。
まず、「見返してやりたい」気持ちの定義として、
・馬鹿にされた
・嫌なことをされた
・自分に興味を持たれたい
など、他者からの印象や扱いを、マイナスor0からプラスに成長するという意味を持ちます。
マイナスor0からプラスに成長させるにはどうしたらいいか。
プラスになってくれると信じて待つ。そんな美味しい話はあるわけがありません。
結論として、自分で行動しなければならないのです。
いじめられたり、嫌なことをされたり、という経験がある方はいませんか。
いじめっこに立ち向かっていけ。と言われることもあると思いますが、それができれば簡単な話です。できないから困っているわけです。
最近では誹謗中傷が増えてニュースにもなっています。
インターネットも発達し、自由な発言をする領域が拡大した結果の産物が良くも悪くも人の人生を左右する世の中になっています。
いじめはなくなるか。私の考えは「なくならない」です。
なぜならば、今後社会の発展にともなって「そういう環境」が増え続けるから。
いじめに対する対応もよくなっている。と思う人もいるかもしれませんが、現時点で「いじめ」が無くなっていないことを考えると、対応はできていません。
では「いじめ」をどうしたらなくすことができるか。
「いじめ」に対してどうすればいいのか。
答えは「その人を見返す」です。「立ち向かう」ではありません。
太っていると馬鹿にされた→痩せて格好良くなるor美人になる
叩かれたり蹴られたりする→筋肉をつけて強くなる
ふざけてんのかという意見があるかもしれませんが本気です。
相手を殴り返したり、叩き返したりすることは、やむを得ない場合は仕方がないです。
しかし、決して自分の箔が落ちることはしてはいけません。その人と同じになるなんてまっぴらごめんです。
いじめっこは、良いことと悪いことの区別がついていない。
言っていいことと悪いことの区別がつかない。
単純に言うと「教養のない人」です。
いじめられている人は、いじめっ子に対して暴力を振るいませんし、言い返したりしません。
良いことと悪いことの区別ができている証拠です。
結論として何が言いたいかというと、自分からアクションを起こさなければならないということです。
いじめられてる人にも問題がある。よく言われますよね。ただ、なにが問題かということは議題に上がりません。
私が答えます。何が問題かというと、「行動力」です。
本当につらい目に合っている人へ、一言。
「日本は法が支配しているので、法律を使えばなんともなります」
子供だからわからない→親や先生に相談してもだめというのであれば、弁護士さんに連絡しましょう。
絶対に自分が変わってやる。そして見返してやる。この気持ちが大事です。
逃げる
どうしても結果で示せない。見返すことができない。という人は「逃げるのも大事」です。
心の健康が一番です。
若い人で悩んだりすることも嫌な経験をすることもあるかもしれませんが、
今後大事な人に会うかもしれません。
大好きなお菓子を毎日食べて生活する暮らしがあるかもしれません。
憧れの職業に就いているかもしれません。
よく考えてみてください。
今あなたがいる場所はどこですか?
地球です。
地球って広いじゃないですか。
○○に会いたくない。ならば会わなければいい。
東京に住んでいて問題があるのであれば他の道府県に住めばいい。
そのために何かをしよう。っていうのが私の意見です。
見返した後の成長
辛いことを乗り越えた後の人間の生著はすさまじいものになっています。
山を乗り越えたも同然です。
その経験の中で得られたものというのは、その人にしかない知識の結晶です。
自分を誇るべき。また、自分は成長したという気持ちを忘れないべき。
そして、その気持ちを他の人に教えてあげてほしいです。
自分がこの記事を書いているときにもいじめられている人がいると思います。
自分の周り、手が届く範囲は絶対に守る。そんな信念で生きてほしいです。
総括
○○を見返してやる方法は1つです。
・結果で示す
だけど逃げることも大事。
私の意見は宗教でも何でもありませんが、読者の皆さんの幸せな暮らしを願っております。